GW遭難 続き

 北岳登頂の続き




 朝、8時過ぎ、テント内で朝食を済ませ、撤収作業を進める。雨は小降りになってきた。

いよいよ北岳山頂(3193m=2004年改訂)に向かって歩き始めた。睡眠不足のせい

か歩みが遅い。

 強風と雨、そしてあたり一面を覆うガスで眺望はほとんどない。ガイドブックでは、山小

屋から30分ほどの山頂になかなかたどりつけない。

 ガスの切れ間に小さな碑が見えたので近づいたが、山頂ではなかった。

「南アルプス国立公園 北岳 3192」と記された木製の看板にたどり着いたとき、出発

から50分も経っていた。雨は収まってきたが、風は逆に強まってきたようだ。写真を撮

り、そくそくと動き出す。低姿勢になって風に飛ばされないように稜線を慎重に進む。さす

がに、この天候では行き交う人もほとんどいない。一組のパーティーとすれ違っただけであ

った。

 しばらく進むと、中高年女性の賑やかな話し声が聞こえてきた。そのまま進み、角を曲が

るが人の姿はどこにもない。おかしいなあ。再び、歩き始める。また、中高年女性らしい声

が聞こえる。5、6人だろうか。次の角を曲がる。誰もいない。えっ、2度も続けて。幻聴

なのだろうか。腑に落ちないまま先を急ぐ。


 やがて長い、長い木の階段があらわれ、足を滑らせないように慎重に下りていく。

八本歯のコルだ。先にも梯子が続く。そのうち雪渓が見えてきた。しかし、なかなか近づか

ない。体が重いのか、足取りがいつもと違う。左側の雪のない登山道をゆっくりと下り、な

んとか雪渓の最下部までやってきた。もう危険なところはないだろう。ザックをおろして

大休憩にする。湯を沸かしてコーヒーを淹れる。カップに注いで飲もうとした時だった。

足元の先に、黒っぽいものが雪に隠れて見える。腰をかがめて確認すると、古いカメラの

残骸だった。1960ー70年代と思われるタイプで、レンズはなかった。

「遭難者のカメラなのかなあ」

気分がふさいできた。


 昼過ぎ大樺沢二股に到着。バットレスを背景にした写真を撮ろうと思ったが、ガスが出て

いて無理だった。あきらめて下山する。少しずつ日が差し始めてきた。沢の畔を歩く快適な

ハイキングコースを楽しんでいると、今度は前方からドイツ語のような会話が聞こえてき

た。

 またか! しばらく進み角を曲がると、今度は30代の外国人男性の2人連れが楽しそう

に話をしながら歩いている。良かった。簡単な挨拶をしてすれ違い、広河原に向かう。


 広河原に着いたのは14時過ぎ。テントを撤収してから6時間が経っていた。車の中に置

いていたリンゴをかじる。うまい。生き返った気がした。


 それにしても、下山時に2度までも聞こえた中高年女性の話し声はいったい何だったの

だろうか。空耳? 幻聴? そして古いカメラの残骸。寝不足のまま歩き続けたことで、

意識が飛んでいたのだろうか。いや、カメラはしっかりと確認した。

 ともあれ、不思議な体験だった。




                   ※

 2002年。今から20年近く前の出来事である。今ではテントを担いで北岳に登る体力

も気力もないが、苦しみぬいて小太郎尾根の稜線にたどり着いたときの感慨は忘れられな

い。この世のものと思えない眺望、絶景に声を失った。そんな一瞬があるから山歩きはやめ

られない。

 コロナ禍は出口が見えない。次にいつ山に向かえるか分からないが、山は動かない。再訪

を楽しみにしていよう。





ると










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